『日吉の「わッ」気まぐれカフェ 加瀬山の歴史散歩』参加してきました

日吉の「わッ」気まぐれカフェ 加瀬山の歴史散歩

6月30日(日)に行われた『日吉の「わッ」気まぐれカフェ 加瀬山の歴史散歩』にお邪魔しました。白山古墳・秋草文壺(国宝)・太田道灌の「夢見ヶ崎伝承」 など、多くの歴史が詰まっている加瀬山の歴史を紐解き、学びながら散歩していくイベントです。

日吉の「わッ」気まぐれカフェ 加瀬山の歴史散歩

日吉の「わッ」実行委員会代表 庄司さん

ふだん歩いている場所にさりげなく残る昔の名残や歴史を知るのは、面白くてあっという間の2時間でした。

日吉の「わッ」気まぐれカフェ 加瀬山の歴史散歩

講師役の日吉郷土史会 市川さん

どちらが先かわからなかった縄文時代・弥生時代の順番を明らかにした証拠が日吉分館のすぐそばにある南加瀬貝塚にあったこと、昔の朝廷に献上する品物を貯めておく倉があったので「大倉」という地名であったこと(今は三菱重工の住所としてのみ残っています)など、初めて聞くことばかり。

日吉の「わッ」気まぐれカフェ 加瀬山の歴史散歩

天照皇大神宮司 岩澤さん

「加瀬」と言う名は鎌倉時代にやってきた加瀬左近将監資親(かせさこんしょうげんすけちか)という豪族に由来するそうです。もちろん、有名な太田道灌が築城をしないことに決めた夢見の言い伝えについても、お話がありました。

南加瀬貝塚は堀川町の発展のため、そこの土を大量に輸送し無くなってしまったそうです。その時は必要だったことかもしれませんが、今となっては残念ですね。
こうして、今あるものから時代を紐解いていくことは、1人では難しいですが、教えてくれたり一緒に考えたりする人がいるととても面白いですね。

ふと、太田道灌が夢を見て加瀬山に築城されなかったことは特に悪いことでもないのかな、と思いました。
大きなお城ができたら、にぎやかでしょうけれど、戦いも多く起きただろうし、加瀬山の歴史はひとつも残らなくなっていたかも…。

日吉の「わッ」気まぐれカフェは今後も、矢上川のクリーンアップ等、学びとアクティビティを組み合わせて開催されるそうです。
住む街にもっと親しみや愛着を感じられる時間になるかもしれませんね。

関連情報

日吉の「わッ」実行委員会
URL:http://kawasaki.genki365.net/gnkk09/mypage/mypage_group_info.php?gid=G0001261

日吉郷土史会
URL:http://jca.my.coocan.jp/hys/hys-top/

天照皇大神
URL:http://www.kanagawa-jinja.or.jp/search_dtl.php4?jid=25&cd=1201025&scd=&npg=0